社長業72日目。
先日、とある会で乾杯の挨拶をした方がいたのだが、その内容に違和感を感じた。多様性がキーワードだったのだが、それに掛けてその人はゆとり世代がすぐ辞めて困るとか、こっちがこういえばすぐパワハラとなって困ってしまう。と自虐的に笑いを誘っていた。その流れで、会社での多様性への取り組みを話していたのだが、私が感じたこと。それって、壇上で言うことか?しかも乾杯の音頭で。
スタッフの平均年齢が業界としては若い会社さんの会である。ゆとり世代とメディアや時代が勝手にカテゴライズした世代を前に、ゆとり世代というキーワードを出していいのだろうか?兎角ネガティブイメージが先行する言葉。その時代に生まれて、政府が決めた教育制度のもとに育ってきたので彼らにとってはどうしようもないし、自然な流れである。
その挨拶を聞いていて正直気分が悪くなった。なのに、その話に同調して笑っていた卓があった。おそらく同じ業界。業界ごとそうゆう差別に溢れている旧態然なのだと直感的に感じ、日本は本当につまらない国だと思ってしまった。
「最近の若いもんは…」これだけは言わないように意識しているが、比べることは当然ある。自分が進んできた道が間違いではないと思いたいから、異物の方が悪だと決めつけがち。経験を踏めば積むほどその傾向が強くなってしまうが、幸い私の周りにはつい最近まで学生だったスタッフがいる。特に採用や会社の見せ方を検討する上で必須な視点。学生は会社の何を見ているか。何に興味があるか。何に生きがいを感じるのか。それを彼らに教えてもらっている。私の先生は年齢は関係なく、私に不足している知識だけでなく感覚を与えてくれる人は皆先生である。
ちなみに私はミニマムライフ世代(1980-1988)というらしい。定義は以下。
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1980年から1988年に生まれた世代。ちょうど昭和末期にあたり、小学校在学中にバブル崩壊、中学校在学中に阪神淡路大震災、大学卒業時は超就職氷河期と、受難の世代でもある。そのためか、将来に対するリスクを過大に見積もる傾向があり、消費を抑えて将来に備えて貯蓄しようというミニマムな生活を好む。また非正規社員が増加し、ミニマムライフにならざるを得ない状況もある。自身を縛る状況を極端に嫌い、一定の生活水準を保ちたい世代でもある。
どうだろう…私の周りにそんな堅実な人がいない。類は友を呼ぶなのか、私が知らないだけで一般的にそうなのか。それとも自覚がないだけで私も一般的には堅実な方なのだろうか。一つだけ言えることは、私がミニマムライフ世代の自覚がないとの同様、ゆとり世代だって自覚がないんじゃないだろうか?それを、ゆとり、ゆとりを言うのはかわいそうである。メディアの被害者。ネガティブなレッテルを貼られているからこそ、会話をしてみて、彼らの意見も聞いて対応すればいいだけ。何も、そこそこ大きな会で挨拶でする話じゃないな、と思った。得たことや良い話が色々あった会だっただけに、どうも後味が悪くなってしまって残念だった。私も人前で話す時は気をつけないと、と思った一日だった。
ジュークアンリミテッド株式会社
代表取締役社長/DEO 加藤瑞紀